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风雨兼程二十六年 培育英才万余人
多年来,日语晨会在白松鹤老师的精心组织下,先后在省城的迎泽公园,南文化宫,省体育馆活动过,后来又“落户”到五一广场街心公园大雕塑后边银杏树下。不管刮风下雨,坚持每天都在公园与爱好者聚在一起,为学员们义务讲学。这也是罕见的。由于他的这种精神深深感染着周围的人们。现在,前来学习日语的队伍不断壮大。
1988年,太原市迎泽区晨会语言培训学校与日本国山形县鹤冈田川地区日中友好协会主办的中国语讲座结成友好姊妹学校。1994年,日本鹤冈市市长富冢阳一先生亲自率团访问日语晨会,并与当时的太原市市长、副市长等进行了友好会谈。他称赞白松鹤创办的日语晨会了中日民间的文化交流和友谊。他建议“晨会”把露天教育变成了课堂讲授,并表示要资助把日语晨会建成学校。1998年3月,在日语晨会创立15周年暨姊妹学校结成10周年之际,日方向日语晨会提供30万元人民币,成立了“太原鹤岗田川日本语教室”和“太原日语晨会学校”。地址选定于省城上马街杏花巷二职业中学,从而使日语晨会成为一所正规化的培养日语人才的专业学校,也成为了中日民间友好交流的窗口。
日语晨会的教室掩映在一排丁香树中,教室里悬挂,张贴了许多横幅和标语,其中有太原市赠送的“赤心育才,余热生辉”的锦旗,而白松鹤老师的一位弟子(书法家李振业先生)所书的“为国育英不惮劳,白公岁暮志弥高,吾侪能道东瀛语,多谢先生沥血教”条幅,在教室里尤为醒目。教室的大玻璃柜子里面,陈列着白松鹤晚年所获得的各种荣誉证书。诸如:“关心一代工作先进个人”,“山西省关心下一代工作先进工作者”,“山西省十佳个人”,“日本东京反核书法展荣誉证书”等等。这些鲜红的证书,满满当当地放了两层。引入注目的还是柜子上面摆着的一本厚厚的“日语晨会资料”剪贴本。它的封面上绘着银色的富士山和几只飞翔的白鹤。这本厚重的资料手册,记载着白松鹤艰苦办学十几年的风雨历程。
为脚踏实地的为社会做贡献,白松鹤利用日语专长在公园举办了“日语晨会,进行义务教学,年复一年,从不间断。三十多年来我国的70多家新闻媒体和日本的20多家报纸电视媒体,对白松鹤义务讲学的事迹做过数百次报道。据统计,迄今为止,已有万余人参加了日语晨会组织的学习。许多人取得了成人自考大专文凭或通过了职称外语考试。其中有的去日本留学研修,获得了博士学位;有的成为日资企业的骨干;有的当了导游;有的作了翻译;有的当了日语教师………在日语晨会学习后,取得国*际水平能力考试一,二级证书已逾千人。
目前,学校在白老师选定的接班人----王梅老师的管理下,无论是教学质量,还是教学规模都会成为了太原地区乃至山西省内*高、*大的日语学校。
晨会学校五大特点:
一、收费低廉 教学精良
本校传承白松鹤先生义务教学的优良传统,绝不以赢为利的目的,不会贪图世俗小利。
二、免费听课 释疑解难
本校校长白松鹤先生三十多年来坚持义务在五一广场教授日语,本校学员学习过程中遇到任何问题,均可在白老师处 得到满意的答复。
三、外教授课
本校常年聘用日本教师(隅田佐和子、光广麻纪、稻木丰实、岩下孝彦、宫内英价、田村武美、鬼村茂雄等等)授课,从语音到语法到写作,可使学员得到“原汁原味”的日式教育。
四、会话应对 实用为主
擅长日语会话是本校的*大特色,对即将去日本研修、留学人员尤为实用。学校还可推荐学生赴日本留学、研修和赴外企工作。
五、沙龙聚会 交流便捷
本校校址即我省日语沙龙的活动点。聚会活动中,用日语交谈、探讨问题、交流学习心得,是提高日语水平的大好途径。
六、日校合作 便利留学
我校与日本多家语言学校建立了姊妹学校关系,可以不通过中介直接向日本推荐留学生,地便利了学生 。我校的合作学校遍布日本本土各大岛(北海道、本州、九州、四国岛),可供学生选择的范围很大。本校为了给留学生提供更优*质的服务,专门在日本东京成立了“东京学友会馆”,为学生排忧解难,提供住房、联系工作等等多方位的服务。
一、收费低廉 教学精良
本校传承白松鹤先生义务教学的优良传统,绝不以赢为利的目的,不会贪图世俗小利。
二、免费听课 释疑解难
本校校长白松鹤先生三十多年来坚持义务在五一广场教授日语,本校学员学习过程中遇到任何问题,均可在白老师处 得到满意的答复。
三、外教授课
本校常年聘用日本教师(隅田佐和子、光广麻纪、稻木丰实、岩下孝彦、宫内英价、田村武美、鬼村茂雄等等)授课,从语音到语法到写作,可使学员得到“原汁原味”的日式教育。
四、会话应对 实用为主
擅长日语会话是本校的*大特色,对即将去日本研修、留学人员尤为实用。学校还可推荐学生赴日本留学、研修和赴外企工作。
五、沙龙聚会 交流便捷
本校校址即我省日语沙龙的活动点。聚会活动中,用日语交谈、探讨问题、交流学习心得,是提高日语水平的大好途径。
六、日校合作 便利留学
我校与日本多家语言学校建立了姊妹学校关系,可以不通过中介直接向日本推荐留学生,地便利了学生 。我校的合作学校遍布日本本土各大岛(北海道、本州、九州、四国岛),可供学生选择的范围很大。本校为了给留学生提供更优*质的服务,专门在日本东京成立了“东京学友会馆”,为学生排忧解难,提供住房、联系工作等等多方位的服务。
日本志愿者、我校日语教师隅田佐和子先生所撰日文介绍文章:
王梅先生はじめ献身的な教師陣に支えれ、きびしい経済事情と不便な環境を克服して、まで続いてきています。これは、みんな鶴岡のみなさまの援助のおかげです。感謝に絶えません。
私はまだ鶴岡に行ったことがありません、親しくお話ししたこともありませんが、東北地方とか、長野、群馬などの農村地域の人々は、中国人と心が通じ合うように思うのです。生活習慣(お正月の過ごし方など)も心理も、発想も似ていて、付き合いやすいと思うのです。若い世代が、鶴岡と太原のささやかな交流を絶やさず、この草の根を拡大していこうではありませんか。
日本語を学習する中国人は、みんな日本が好きで、日本人との交流を希望し、留学、研修を目標に、頑張っています。涙ぐましい程よく勉強しています。 みなさんの中国語講座会報を拝見しました。老いも若きもひとかたならぬ努力をなさっています。これを読んで先づ思ったことは“ああ、私もそうだった。”です。
私の中国語は1982年に始めて中国旅行をした時、知り合ったガイドや、書道家と文通するため、独学で始めました。10年ほどの手紙を一晩がかりで書いていたのです。その後、3回訪中し、友達も増えました。
さて、私は若い頃(1952年)、日本語教師の資格をとり、欧米人に(軍人の奥さんや、宣教師など)日本語を教えていたことがあります。東京生まれの東京育ちで、発音もアクセントも正確な標準語です。1983年、残留孤児の帰国が始まり、彼らに日本語と、日本生活習慣を指導する仕事(ボランティア)を拝命しました。本格的“中国語”との出合いです。そこで、一大発奮して、東京大田区中国語学習会に入会しました。1983年4月です。始めは、入門班、発音、四声、できない、わからない、難しい、つまらない“我是日本人”がどうしても正確に言えない、もうだめ!あきらめた!読み書きができれば、それでいい!何度、やめようと思ったことか。それでも、家族の理解と協力により、毎週水曜日の夜6:00~8:30、5年間、いちども休むことなく出席したのです。50歳の手習い、当然進歩は遅いです。でも、少しでも話せれば、毎年帰国してくる孤児の心情もわかり、心から愛情をこめて、指導に当たることができました。この劣等生の年寄りを5年間も懇切丁寧に教えてくれた先生(中国人留学生たち)には本当に感謝の言葉もありません。
1988年、主人が急逝し、その空虚を埋めてくれたのも中国語学習でした。再び学習会に戻って、独身の気安さから、家事も忘れて学習に熱中しました。かみさん稼業もおふくろ稼業も卆業し、1990年に、日本語教師として中国に赴任し、すでに17年が過ぎました。みなさんもどうぞ、出合いを大切にし、学習を楽しんで、中国を好きになり、日中友好の志を新たにして下さい。
安部新首相は10月8日、北京で、近年来、途絶えていた日中首脳会談に臨みました。日中関係に踏み出したかのように見えますが、具体的には何も進んでいません。北朝鮮に対して、中国は武力によらない制裁を求め、一方、日本では、米軍による、船検を後方支援すべく、戦争体制が稼動に向かおうとしています。私たちは、あくまでも平和の道を前進しましょう。
尊敬する白松鶴先生は85歳になり、まだまだお元気です。中日友好と日本語教育に生涯をかけ“桃李满天下”です。多大の援助をいただいた鶴岡のみなさんに再びお会いしたいと話しておられます。近来、太原はきれいな街に生まれ変わりました。季節は秋です。もうすぐ冬がきます。でも、太陽と青空は、いつも明るく輝いていて、周りの山々は黄色く光っています。どうぞ、お出かけて下さい。学校をみて、学生たちを励まして下さい。 みなさまのご健勝を祈りつつ、筆を置きます。
太原日语晨会学校 隅田佐和子
中日友好纪念碑(碑文)
太原市迎泽区晨会语言培训学校是由中国关心下一代工作先进个人,山西省十佳个人,太原师专外语教师,民盟成员白松鹤先生创办的。十五年来,日不间断,风雨无阻。兢兢业业,分文不取,海内外传为佳话。一九八八年四月,太原市迎泽区晨会语言培训学校与日本国山形县鹤冈田川地区日中友好协会主办的中国语讲座结成好友姊妹学校。为迎接双方交流十周年,在鹤冈市长富冢阳一先生,市议员阿部末雄先生,以及中国语讲座负责人,也是日语晨会顾问的川上治夫先生等努力下,开展建立太原鹤冈田川日本语教室的募捐活动,以解决日语晨会校舍问题,向日语晨会提供五百万日元,约合人民币叁拾万元,作为长期进行日语教学与友好交流基金。
在省市的支持下,得到太原市第 二职业中学的热情响应,共同为发展中日友好而努力。可谓大庇寒士,广济群贤。此事虽小,也不失为中日友好万花丛中的一枝。特立此碑,以志友谊。
捐款者既有团体,也有个人,数达四百三十九之多,镌刻碑阴,以垂。
贾伯卿 撰文 武秋月 书并刻
太原第 二职业中学校
太原市迎泽区晨会语言培训学校 立石谨志
公元一九九八年六月吉日立
注:碑座大字之“中日两国人民世代友好下去”由太原书法家徐文达先生书写。